「歯の神様」の存在をご存知ですかという質問に対し、ほとんどの人は「知らない」と答えるでしょう。近代医学が目覚ましい発展をしている現在において、「歯の神様」の存在を「ばかばかしい」と言う人も少なくありません。
医者というものが庶民に縁遠かった時代が、はるか遠い昔の事柄として忘れられた現在の事情の一環でもあるのでしょう。
「歯の神様」信仰が始まったのは、江戸時代中期から後期頃と言われています。
当時は、殿様・武将・豪商など、一部権力者たちのお抱えの「口中医」という療術者がいましたが、一般庶民には無縁の存在でした。
そのような世相にあって、庶民は歯痛などの悩みにどのように対処したのでしょうか。
苦しい時の「神頼み」「まじない」などが唯一の手段であり、これに頼らざるを得なかったのです。
現在でも、多くの人々の記憶に残っている風習の一つに、「上の歯が抜けたら縁の下へ、下の歯が抜けたら屋根の上に投げろ」というのがあります。
地方によっては「ネズミの歯に生え変われ」とか「鬼の歯に生え変われ」と言いながら投げるというもので、いずれも丈夫な歯に生え変わってほしいという心情からのものでしょう。
歯の痛み・悩みを癒す目的で祈願などをする神社・仏閣・石像などの数は、全国で約300ヶ所くらい存在すると推察されますが、地方(城下町や山間へき地)によって祈願や報謝の方法などが異なっていることは興味深いものがあります。
「歯の神様」と「歯の塚」とは、どう違うのでしょうか。
「歯の神様=痛み、悩みを癒す」
歯の神様信仰の起源について振り返ってみましょう。
江戸時代に歯の痛み、悩みを癒す療術者(口中医)の存在は、当時の権力者、実力者と言われる殿様や武将、豪商などの一部の人たちのお抱えということで、一般庶民には無縁のものでした。
このような世相の中にあった一般庶民が歯の痛み悩みに遭遇した時に、苦しい時の「神頼み」と「まじない」などに頼らざるを得なかったのです。
また、歯の痛みは人生において最も耐え難い苦痛であると自刃したり、生きながらに土中に埋葬されたり、死に直面して「死後わが霊を詣でるなら、歯痛に悩む者を助ける」と遺言を残した者など、歯の痛みはその当時の人々にとって生死に関わる重要な問題だったのも信仰の理由として挙げられます。
それだけ多くの人が歯について悩んでいたからこそ様々に祈願する理由を供えた種々の神社仏閣・石仏などが全国各地に約300カ所位残っているのではと推測されています。
「歯の塚=歯牙の供養」
では、歯の塚とはどのような性格を持っているものなのでしょうか。
1988年、神奈川県歯科医師会元会長・加藤増夫先生が『歯の塚探訪』を出版され、これにより歯の塚の存在がクローズアップされました。また、これを基に仙台の杉本是政先生は「碑、塚、塔」と呼称分類を発表しましたが、建立の主旨は、「歯牙」を供養するという意味から、同一視しても良いのではいでしょうか。
最も古い建立は1797年ということですが、大部分は昭和時代に建てられています。
その目的は、抜いた歯、抜け落ちた歯を供養するためで、健全であった時には食物の咀嚼、栄養の摂取、健康の維持など生命への貢献には欠かせない存在でした。
やむを得ない何らかの理由で抜去され、また脱落したからといってそのまま廃棄処分(一部は教材に使用されているようです)にしては申し訳ないという心情から、これを供養しようと「歯の塚」を建て感謝の意を表しようというのが立案だったのです。
歯の神様のは全国にあるようです。現在は神様に頼まなくても自分で管理し治療にいくこともできます。
定期的に検診を受けることで、お口から健康につながります。
ぜひ一度、来院お待ちしてます。