みなさんこんばんは!
今日は、江戸時代の入れ歯のお話です。
江戸時代から日本は最先端
徳川家康の伝記ドラマで、新しい入れ歯がよくできてよく噛めるようになったとご満悦のシーンがありました。
徳川家康が入れ歯をしていたことは歴史書にも記載がありよく知られています。
そのころの入れ歯は、木ロウで型を取り、ツゲの木を削って作っていました。
ツゲの木は緻密で硬く、また抗菌作用があって不潔になりにくく、入れ歯の台として最適な材料でした。
前歯には自分の歯かあるいは他人の歯を絹糸で台にくくり付け、奥歯は金属の釘を何本も打ち付け、よく噛めるようにしてありました。
現存する当時の入れ歯をみると、現在の入れ歯にあまりにもよく似ているので驚くばかりです。
江戸時代、先進国のヨーロッパではどうだったのでしょう。
江戸時代初期(十七世紀)に、まだ入れ歯に当たるものはありませんでした。
ヨーロッパ人は肉食なので、日本人以上に噛む必要性があったでしょう。
そこで、当時の貴族階級のためにペンチのような形をした肉粉砕器が考案されていました。
それで肉をつぶして、食事をしていたと記録されています。
ヨーロッパで現在の入れ歯に近いようなものが考案されたのは、十九世紀のはじめになってからなので、日本と約二百年の差があったといえます。
江戸時代、日本の歯科医療を支えていたのは、仏師(仏像を作る人)でした。彼らが、殿さまや身分の高い人の求めに応じて、ツゲの木を彫刻して入れ歯を作っていたのです。
このような入れ歯は、日本各地に残っています。
みなさんのお宅の仏壇の引き出しの中などにもあるかもしれません。香川県に残っていた木製の入れ歯(江戸時代末期につくられたもの)を細かく観察すると、噛んで擦りへった跡がありますし、歯石がついているので、よく使われた入れ歯であったと考えられます。
歯石のついた木製義歯はたいへん珍しく、この入れ歯は、広島大学歯学部の浜田教授により論文に紹介されました。